001 あの日の残像
- maitano
- 2023年1月7日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年1月27日

私は追われている。
カードゲームのトランプを模した仮装をした男3人が、ゆっくりとした足取りで、だが確実に迫ってくる。
私は鉛のように重たくなった足をなんとか前に進めた。
彼らに捕まればおしまいだ。強制的にバスに乗せられる。
まだ牡蠣もステーキも食べていない。ここで捕まるわけにはいかないのだ。
私は力を振り絞り、右左、右左と歩を進めた。
世界一周ハネムーンと称し、バックパックを背負い関西国際空港を出発したのはもう半年ほど前になる。旅が始まって間もない頃、バンコクの安宿で妻が言った。
「面白いマラソンがあるよ」
長距離走が苦手な私には、世の中に面白いマラソンというものが存在しているなどということが、にわかには信じられなかったのだが、妻の説明を聞いて合点が入った。
妻が言うには、そのマラソン大会は毎年9月にフランスのボルドーで開催されるようだった。参加者は仮装をしてシャトーや葡萄畑を舞台に走るらしい。
メドックマラソンという名のこの大会は、フルマラソンではあるが、制限時間は6時間半。
これならほとんど早歩きでもゴールできそうな気がする。
さらに給水所や各シャトーでは自慢のワインや牡蠣、ステーキなどが出るそうだ。
お酒の入った42.195km。これはもうマラソンと言うより祭りの要素が大きいイベントなのだ。
軽い気持ちでメドックマラソンにエントリーした我々は、開催日までの半年の間に陸路でタイを北上し、中国からチベットを抜けてネパールにたどり着いた。
ネパールの温泉では現地人に間違えられるほど、私はネパーリーであった。
次に行ったインドでは、神様の使いであるはずの牛をローストビーフで食べた。
食中毒で入院した。
入院食がカレーであったことに驚いた。
インドからアフリカのタンザニアに飛び、アフリカの楽園と言われるザンジバル島にはフェリーで渡った。
聞けば前日のフェリーは沈んだようで、笑い事ではないが、危うく本当の楽園に旅立つところだった。
それからジンバブエ、ボツワナ、ナミビアと進み南アフリカを最後にヨーロッパに飛んだ。
スペインでは牛に追われ、トマトを投げ、泡パーティで躍り狂った。
そのようにしてメドックマラソンに来たわけだから、トレーニングというものを全くしていない。していないのだから、走れない。走れないのにワインを飲む。私はほとんど下戸だ。下戸だからすぐ酔っ払う。当然足元もおぼつかない。
私は結局、男たちに捕まってしまった。
捕獲されたランナーはバスでゴール地点に輸送される。
ボヤけた頭でバスから眺める景色が、どういうわけか心を打った。
傾いた太陽は白砂の道をオレンジに染めかけ、その道を挟んで、浅緑の葡萄畑がどこまでも整然と並んでいる。
「葡萄畑っていいな…」
異国の夕焼けをぼんやりと眺める。
遠くで、なにがしかの鳥が鳴いている。
フランスでも夕方になると鳥が鳴くのだ。
私が農業を始めようと思い立った時、あの日見た葡萄畑の風景が頭から離れませんでした。なんとも安直な決め方ですが、そうして私は葡萄農家を志したというわけです。
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